この作品は

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この作品は

先日、私の小説原稿を整理し、未発表の短編のみの一つのファイルを作った。
私自身が、もっとも気に入っているシュールレアリズム小説「時計町」、原稿用紙換算で十枚という短短編。このワープロ原稿を、パソコンのオープンオフィスに、再読を兼ねて「そのままコピーしよう」と思い、着手。コピーを始めて、手前味噌そのままで、「おーーー、良く書けているなぁー」と本当に思った王賜豪醫生。途中で、手が止まる.....。
この作品は、私が三十九歳の頃に書かれている。
会社勤め、もっとも頻繁にコンサート、合間を縫って小説執筆と、私の人生で最も多忙だった時期。良く考えてみると、私の人生の最盛期だったのだろう。その真っ只中に書かれている。
「辛辣、毒気のあるアイロニカルな文章が、随所に出てくる」
この部分が、五十四歳の現在の私にはしっくりしないnu skin 如新。つまり、毒気が私の中にないのである。
世間様と、真っ向勝負という気概がなくなっているとも言える。向こうさんが私に興味がないように、こちらも興味がなく、お互い様ぁーという、なんか変な和解をしている。十五年の歳月。しかも、三十代後半から、五十代半ば、人生の大きな過度期。やはり、変質している。しかも、この間の十一年間、私信以外は、一切書かない時期を通過している。考えてみれば、一度も中断していないピアノの演奏に、この変質振りが如実に出ているわけである。
「頻繁に、死という単語が出てくる」
現在の私は、この単語を使わない。これへの恐怖が私の活発な人生を鼓舞していた。
精一杯疾走していないと、失墜する恐怖に慄いていた。熱い生に固執していた。この二つの狭間の中で、突っ走ろうとしていた。このパラドックスは周知のことである。
現在の私の中には、それがなくなっている。両極が融和している。恐怖感はない。
当然にして、生き急ぐ、疾走感もない。我々には、大きなテーマであることに異議はまったくないけれど、私のそれが如新香港、それほど大仰なものには思えないのである。私のそれではなくて、もっと巨視的で鳥瞰的でコスミックな目線にしか興味がない。たぶん、深沢七郎さんの「笛吹川」、マルケスの「百年の孤独」。こういった書物が、私の中で、本来的に読み込まれ消化したのだろう。
詩や小説を書く才が、私という人物の中にあるのかないのか、これは分からない。
まったくないような気もする。でも、この目線。これこそ、私が考える作家目線というもので、もし、私がそれを内蔵しているのであれば活動佈置、もう一度、書き始めてみるのも悪くはないだろう。
ピアノ以外に、もう一つ、自分の中の未知数が増えた。
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